森の思想―緑のダムとコンクリートのダム


こうしてコンクリートのダムが生まれた

日本では都市部はほとんど川の下流、しかも河口域にひろがっています。河口は平坦で、しかも土壌が肥えているため、まず農業が発展しました。土が肥えているのは、ときどき川が山から土を運んできてくれるからです。洪水は大きな被害も出しますが、畑の土をよくしてくれるということから、昔の人は洪水をうまく利用しながら付き合っていました。

ところが工業が発達してくるようになると、ひとが都市部に集まり、住宅が建つようになりました。たくさん家が建つようになると、これまでのように川が定期的に氾濫しては困ります。そこで堤防をつくり、洪水のときは水が少しでもはやく海へ流れるように川をまっすぐにしました。都市が発達するにしたがってなるべく水はけがよい街づくりを目指すようになりました。

一方で、人が生活するのに水が必要です。都市部に人が増えれば、それだけ水も必要になります。必要なとき、必要なだけ水がほしい。どこかに大きな水がめをつくろうということでできたのがダムです。

ダムの底に消えた山村

ダムをつくるところにはそれまで山村がありました。派手な都会の暮らしに比べて山村の生活は貧しいということで、若者は山村を捨てて町に出て行きました。多くの村がダムの底に沈みました。残った山村も森の守り手を失い、森の荒廃が始まりました。森が荒廃すると土砂が流れ出します。水がたまるはずのダムには土砂がたまってしまい、わずか数十年で役目を果たすことができなくなってしまいます。ダムには土砂ばかりがたまり、都市部では水不足が続きます。そこで次々と新しいダムができ、そのたびに山村はさびれていきました。守り手を失って森も荒廃していきました。

森と海をつなぐ川を殺すダム

ダムの影響は、それだけにはとどまりませんでした。森から海へは、土砂とともに鉄分をはじめとする森のミネラルがたくさん詰まった水が流れていて、豊かな海を支えていました。川によって森と海はつながれていたのです。ところがダムがそのつながりを断ち切ってしまいました。一時的にダムに蓄えられた水は腐り、にごってしまうのです。

海では磯焼けが始まり、魚が減りました。石が海へ流れないので、砂浜が減ったところもあります。

コンクリートのダムは、メリットもありますが、それよりもデメリットのほうが多いことがだんだんとわかってきました。世界で初めにダムを開発したアメリカが、ダムを壊していくことを決定しました。日本ではまだ十分な理解が得られていないのと、一部の人たちがダムでお金儲けをしていることから、コンクリートのダムをつくりつづけています。

わたしたちが目指すべき方向は、「緑のダム」の復活です。

緑のダムの復活を目指して

緑のダムは残念ながら、コンクリートのダムのように「好きなときに、好きなだけ」水を供給することは得意ではありません。しかし、常に一定の水を流すことは得意です。

これはとても時間がかかることですが、「緑のダム」の特徴をよく理解し、それに対応した街づくりが必要になってくるでしょう。

「緑のダム」を復活させるには、山村を復活させることであり、林業を復活させることであり、水田を復活させることであり、雑木林を復活させることです。

非常に幸運なことに、山村にはまだ森の哲学を語り継ぐ人たちが残っています。彼らの知恵と経験にもう一度学び、いまある力と結びつけることで「緑のダム」を復活させることはできると思います。


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